『サムデイ イン ザ レイン』を見て

アニメ涼宮ハルヒの憂鬱第9話『サムデイ イン ザ レイン』を見た。すごかった。すごいよかった。
そんなわけで、個人気に思ったことを書きなぐっていきたいと思う。
そうそう、以下ネタバレありまくりなので注意。
ネタバレ含む本文までの仮置き。
もう一度言っておくけど、
主観含みまくりで書きなぐったものなので
むちゃくちゃな推測含むけど
そのへんは適当に読み流してください。

2つのタブー

まず、今作はアニメオリジナルのストーリーなのですが、脚本は谷川流。そうです、アニメの原作でもある小説版の作者です。この時点で単なるアニメオリジナルという粋から外れます。
そして、今作では涼宮ハルヒシリーズの約束事の2つが破られています。極端な言い方をすると、2つのタブーを犯しているわけです。
ひとつめは、何も事件がおきないこと。
そもそも、この物語はハルヒを中心として巻き起こる、日常の中の非日常がテーマだと思います。そんな中で、今作はキョンは単にお使いをさせられ、古泉は単に淡々とハルヒの指示に従うのみ。みくるは単にハルヒにいいようにされるだけ、長門は単に本を読み続ける。そしてハルヒはいつものようにわがままを振りまく。
特に事件はおきません。ただ単に日常が描かれています。
ふたつめは、キョンがいないシーンの描画があること。
そもそも、この物語はキョン語り部となる形式となっています。だから、キョンがいないシーンは語られることはありませんでした。しかし、今作ではキョンがいない状態のSOS団がこれでもかというほど描かれています。
そんなわけで、原作者が脚本を担当していながら、かなりイレギュラーな展開です。しかし、だからこそ意味があるわけです。キョンが語らないシーン、事件という大きな盛り上がりのないシナリオ。おそらく小説ではできなかった展開でしょう。そして、だからこそ書きたかったストーリーだったのではないでしょうか?

バツンデレ

話は変わりますが、今作の目玉はやっぱりキョンが目覚めてからの展開でしょう。
おそらくキョンのことをずっと見守っていたであろうハルヒが、キョンが目覚めたことにあわてて一言も発することもできず。
キョンの言葉に返すことでようやく我に返るという、この辺の表現はさすがの一言です。それから、かさが職員用だというのもポイントですね。学校の備品ならば1本しかないということもないでしょうし。

まとめ

しかしながら今作、ハルヒいわく14話ということでアニメ最終話という位置づけなのでしょうが、
この日常が涼宮ハルヒの望んだものであり、今作こそが涼宮ハルヒの憂鬱シリーズの最終話なのではないか。
なんて勝手に思っています。
それくらい、深いものを感じられた作品です。

おまけ

長門の読書シーンはもはや放送事故の粋だと思う。良い意味で。